平 和 を 願 う 言 葉

 浄土真宗のみ教えに御縁の深いこの広島の地において、平和を願う言葉を述べますことは、私にとりまして、まことに感慨の深いことであります。
 昭和20年8月6日、広島をおそった閃光は、短時間のうちに、数多くの生命を奪い、建物を破壊するとともに、生き残った人びとの心身にいやすことのできない傷跡を残しました。それは長崎に投下された核爆弾とともに、人間が自らの手で生命の尊厳をおかす行為が重大な段階 ―人類滅亡― に近づいたしるしであると申せましょう。
 現代の科学技術は、人間が本来持っている探求心や幸福を求める心から出発したものでありますが、応用の仕方次第で、人間にとって、いな、地球上すべての生命あるものにとって、悪しきものになることを明らかにしたのであります。
 今日その爆弾は、ますます強力になり、人類を何回も滅ぼし得る量が蓄えられていると言われます。その背後にあり、それらを押し進めているのは、国と国、人と人の不信感であり、恐怖感であります。
 私たちの姿をかえりみる時、「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」という恐ろしさをそなえています。それが国家の危機、個人の危機に際して、どのような姿をとって現れたかは、先の大戦中に多くの人びとが経験したところであります。私たち自身が傷つくとともに、他の多くの人びとを傷つけたその反省に立ってはじめて、平和への願いが力あるものとなるでしょう。
 親鸞聖人は、そうした私たちのいつわりなき姿を罪悪深重の凡夫と受けとられ、そこにそそがれる真実、無量寿、無量光の如来のまことを仰がれたのであります。そこにはすべてのいのちあるものが手をとり合い、信じ合える世界が開かれています。私たちは、親鸞聖人のみ教えに導かれて、真実にふれ、それによって、世界の人びとの本当のつながりを確かなものにしなければなりません。そのことが、恐るべき破壊力の暴発を防ぐことになり、また戦争によって生命を奪われた人びとの思いにこたえる道でありましょう。
 私はここに、親鸞聖人の教えられた念仏の真実をあおぐものとして、世界の人びとが互いに強い信頼で結ばれ、平和が一日も早くもたらされることを切に念願するものであります。

昭和57年3月6日

浄 土 真 宗 本 願 寺 派
   門 主 大 谷 光 真