安芸門徒の土徳

尼子 成爾(広島市西区教伝寺住職)

 一昨年12月に寺基を移転して、早くも1年になりました。この11月に、広陵東組仏教壮年会の報恩講をお勤めさせて頂きましたのは、望外の喜びでした。

 今、市内では、あちらこちらの寺院で、本堂や門徒会館の新築、増築が進められていますが、このご時勢の中、安芸門徒といわれる土地の土徳を嘆ぜずにはいられません。御開山聖人直門の明光師が山南(さんな・備後南部の沼隈郡沼隈町)の光照寺、宝田院から御調の照源寺、三次の照林坊に到るまで浄土真宗の教線を広げたのは、1200年代のことでした。

 それに遅れること約150年、蓮如聖人の晩年になり、高田郡・吉田を中心として安芸の土地に教えが広まりました。その中心的存在であった仏護寺は毛利氏にしたがって広島に移り、後に明治になって広島別院となり、広島の中心寺院となったことはご案内の通りです。仏護寺は元々、守護、武田氏の菩提寺として天台寺院として開基されましたが、1459年に本願寺直末となったといわれます。安芸は備後より展開が、一時期遅れただけでなく、真言、禅、天台、時宗からの転宗した寺院が多いのです。総寺院の34パーセントは改宗の由緒を持っているといわれます。

 ともあれ広島の町が開かれて400年あまり、ほとんどの人が浄土真宗の門徒として生きて死んでいき、土徳が培われて参りました。

 安芸の土徳の中で育った私たちですが、今その土徳が危機になりつつあります。過去にも、明治の廃仏毀釈、原爆による壊滅など、お念仏の危機はありました。が、明治には進徳教社、崇徳教社、闡教部などの門徒を中心とした活動、戦後は寺院の幼稚園など、お念仏は脈々と伝えられてきました。それは幼児の頃からおじいさんおばあさんに連れられてのお寺参り、家族揃っての仏壇参り、普段の生活だったからではないでしょうか。そうしたご縁を大切にされたご先祖の智慧には頭が下がります。

 私たちも自分ひとりのお聴聞ではなく、子や孫、家族と共にお聴聞するよう勤め、その中で如来さまのお育てを歓びたいものです。