あの橋をつくったのは

藤 悠哉(広島音楽高校前校長・広島市中区善福寺住職)

     
りっぱな橋ができあがった
三年かかって なん万人の人が働いて…
「あの橋をつくったのは私だ!」と
大臣がいった
大臣の部下のえらい役人がいった
設計した人がいった
下しらべをした人がいった
工事のかんとくをした人がいった
金を出すかかりだった人がいった
材木や金物を組立てた人がいった
砂利や砂やセメントを運んだ人がいった
土を掘った人がいった
クレーンを動かした人がいった
大工さんと左官やさんがいった
石やさんとポンプやさんと
電気やさんとペンキやさんがいった
なん万人の人が残らずいった
自分ひとりでつくったかのように
「あの橋をつくったのは私だ!」と
自分の家で 料理屋で
とこやで ふろやで バスの中で
「あの橋をつくったのは私だ!」と
ほんとに橋をつくっている
自然の法則と材料たちと
ほんとに金を出している国民と
三年間の時間だけは だまっていた

 この詩は、詩人で童話作家の、まどみちおという人の「あの橋をつくったのは」という詩の抜粋です。
どうでしょうか。この詩を読んで、やはり最後の四行が気になりませんか。

 立派な橋ができるということは嬉しいことですから、その仕事に係わった人達が、みんな自分もあの橋の建設にたずさわったのだと吹聴したくなるのは、人間の情として理解できることです。しかし、そのもっと奥底で、橋の建設に貢献し、橋の存在を支え続けているもののあったことに気づかされませんか。
表からは見えないけれども、その根底にあって、黙々とその存在を支えているもののあることを知り感謝すること。子供の頃からそのようなものへの感受性を培い、養ってゆくことが大切なんだという作者の思いの込められた詩のように受けとめました。

 数年前、生徒達が、宗教の授業に対する感想文の中で、「ちょっとしたことだけど、食べ物のありがたさとか、人の親切に気づけるようになったのは、宗教の授業を受けたからだと思う」とか「宗教の授業は、私達が普通、当り前すぎて忘れているような大切なことを、一つ一つ見直す時間だと思います」という風に表現していたことを思い出します。

 誰の言葉だったか忘れましたが、「闇夜の月の光はわかるけど、太陽の光は大きすぎる。雨の日の傘のありがたさはわかるけど、屋根のご恩は大きすぎる」という言葉を聞いたことがあります。私達が本当に感謝しなければならないのは、一見何も感じられない程大きな存在のことかもしれません。