いのちをみつめて

日下正実(広島市南区千暁寺副住職)


 私が役員をしている安芸教区少年連盟では、毎年2回「日校指導者学習会」を開き、毎回、各方面で日頃から青少年と接している先生方を講師として迎え、研修しています。

 平成7年2月22日、広島別院で行なわれた「後期日校指導者学習会」の講師は滝本誠海先生でした。滝本先生は、自坊(呉市・南林寺)の日曜学校の指導や小学校の教師としての長年の障害児教育をとおして、学級の子ども達のいろんな出来事を混えながら、「いのちの尊さ」についてお話して下さいました。

 毎朝、学級で子ども達と『手のひらを太陽に』を唄っていたのですが、ある時この詩が出来たいきさつを聞いて、ますますこの歌が好きになったそうです。この詩の作詞のやなせたかしさんは、作詞家ではなく絵本作家ですが、この詩を作ったときには次のようないきさつがありました。やなせさんは、描いた絵が採用されず、その日その日の生活も困るという不遇な時期がありました。ある冬の寒い日、部屋には暖房もなく、懐中電灯で冷たくなった手を暖めながら仕事をしていた時、ふと、手のひらを電球にあててすかしてみたら、まっ赤な血がくっきりと見えたのです。“ああ、私は生きているんだ”“私の体にはまっ赤な血が流れているんだ”と胸の底からこみあげてくるような感動を覚え、その場で書いたのがこの詩で、それにいずみたくさんが作曲して出来たのがこの歌なのです。

 滝本先生は、自分が子ども達を教えるというよりも、逆に子ども達からいろんなことを教えられたと言われます。毎日の給食の時、口にしているものを「食べ物」というよりも「生き物・いのちあるもの」として見ていること、自分が割ったコップに「ごめんなさい、痛かったでしょう」とコップに「いのち」を見ていること…などです。

 これらのお話を聞き、改めて仏教の言葉の「一切衆生悉有仏性」ということを考えさせられました。生きとし生けるものすべてが「仏となるべき尊いいのち」を持っているのであり、そこから互いに拝み合う世界が生まれると思うのです。仏教とは仏さまの教えであると同時に、正に仏さまに成る教えでもあります。そこにこそ、如来の願いがあるのです。

(1996.4)