今こそ私たちの出番です

日下善暁(広島市南区千曉寺前住職・広島日タイ友好協会会長)


 蓮如上人五百回遠忌法要のテーマに「環境」と「家族」があげられました。この法要のときご門主様が、核家族の若い人たちの家庭に小さくてもよいからお仏壇を贈ってほしいと話されましたが、私もまったく同感です。

 いま「心の教育」ということが大きくクローズアップされていますが、これは青少年の非行の低年齢化、とくに中学生の凶悪犯罪の多発と、学校教育の崩壊現象が問題になっているのがその理由です。それに、心の教育だけでなく、いじめにあって自殺する子どもも少なくない現在、「命の教育」も見落とすことはできません。

 戦後の科学文明の発達と急速な経済成長は、私たちに便利で快適な生活を与えてくれましたが、同時に私たちが先祖から受け継いできた多くの美徳が失われてしまいました。隣り近所の人たちと親しみ、お互いに助け合うことも、親や高齢者や先生を敬う心も、そして優しい心も失われたように思います。

 私は十数年にわたってタイ国と交流していますが、タイで日本の現状を話しますと、信じられないとびっくりされます。それは、仏教国のタイでは、昔の日本の心が今もそのまま生きて残っており、それがタイ国固有の国民性となっているからです。

 日本が失ったものは、もう回復できないのでしょうか。現場の教師も、追いつけ追い越せの偏差値教育で育てられた人が多いと思われるだけに、「心の教育」や「命の教育」が、処方箋通りにできるかどうか心配です。

 しかし、念仏者として、まず家庭の中に念仏の花を咲かせることによって可能となると思います。家庭の中に拝む対象があり、三世代が同居できている家族は最高に幸せです。食事のときに、家族がそろって「いただきます」「ごちそうさま」と合掌したり、みんなで仏様にお参りするだけでも、家族の絆がむすばれ、豊かなぬくもりがただよいます。私が食べるものはすべて命あるものであり、多くの人や物のおかげで生かされていることを汁だけでも、命の教育になります。

 だから、やむをえず核家族になっている若い人たちの家庭にお仏壇をお迎えすることは、他のどんな豪華な品物や多額のお金を贈るよりも、はるかに価値があります。日本人の心が荒廃している今こそ、私たち念仏者の出番があるのです。

(1999.1)