蓮  如

長門義碩(広島市中区海宝寺住職)


 本山御晨朝の1コマである。正信偈が終わり、巡讃となった時、当番の蓮如上人の声がない。次の番の者が気を利かせて調声した。上人は眼を潤ませて呟くように念仏をして居られた。参集の一同は上人がどうかされたのかと不審に思っていた。勤行が終わって本堂を下がられた上人は「今朝の和讃は特に有り難く響いて、思わず噛みしめて味わって居たら、つい、調声するのを忘れていた。」と述懐された。

 これは御一代記聞書に記録するものであるが、蓮如上人の生き様を端的に表現したものと思われる。上人は、従来勤行に用いられていた六時礼讃を改めて、宗祖の著作のなかの正信偈を取り出し、又宗祖の和讃を加えて読誦の対象とし其れに念仏を加え正信念仏偈和讃という作法を制定された。其れが今我々の使用している正信念仏偈和讃である。600年以上も連綿として伝持されているのである。

 自ら制定した勤行の作法を失敗されたのである。今で云うならば、怒られても仕方がないほどの失策であろう。しかし、上人は平然として「アゲバヲワスレタリ」と云って居られるのである。察するに上人にとって作法とは仏恩報謝の行為であり、単に形式で作法を考えて居られなかったのではあるまいか。将に声明とは、信仰を高めるための作法として考えられたものと思う。

 御一代記聞書のなかには、念仏の中で生かされている思いで、生活する事を弟子に教えておられる。上人は御文に依る教化をされたが、現在も読誦の対象に成っている。

 しかも、上人にとっての御文は、単に手紙ではなく、如来の言葉として考えて居られたようである。晩年弟子に御文を読ませて「御文はありがたい」と云って居られるのである。自分の書いた物を礼賛するような上人ではないことが、御文のなかの自作の和歌を「卑劣のことのは」と云っておられることからも推察できる。御文を出されるときの上人の心情は、如来のお心をお取り次ぎする厳かな気持ちで筆を染められたと思う。

 室町時代から現代まで日本の思想界に大きな影響を与えられた蓮如と云う方は今の我々の生活のなかで今日も生かされて存在する。

(1997.7)