縁起の教え

中川英尚(元種智院大学教授・広島市南区浄光寺住職)


 広島は今、「毛利元就」に沸いています。NHKの大河ドラマの視聴率も高く、日本中にブームを巻き起こしそうです。

 元就といえば「三矢の訓(おしえ)」が有名です。サンフレッチェ広島の名前の由来もここにあります。子供の頃に兄弟喧嘩をした時、親からこの訓えを聞かされ、手を合わすこと、協力することの大切さを喩された方も少なくないでしょう。
 かねてから、この訓えは中国や日本の故事にならったもので、仏典の『蘆束経』にもつながるものではないかと考えていました。この度のブームを前に調べてみましたが、残念ながら故事を見つけることはできませんでした。『蘆束経』とのつながりも定かではなくなってきました。

 『蘆束経』という経典は、蘆(あし)の束の譬喩を用いて縁起の教えを説く経典です。二つの蘆の束が支え合って立っています。一方の蘆の束をはずすともう一方の蘆の束も倒れます。二つの蘆の束は互いに支え合い、相依り相まって立っています。ちょうど、漢字の「人」という字が、一人では立っていることができなくて、つっかい棒に支えられて立っている姿をしているように―字のなりたちからいえば、人が立っている姿を横から見た象形文字なのですが―蘆の束が支え合って立っています。これが縁起の姿です。

 経典には説かれていませんが、一方の蘆の束についていえば、これも沢山の蘆が集まって束を構成しているので縁起のすがたであり、三本の矢にも相通ずるものでもあります。

 昨年、被爆した山門を修復しました。修復前の山門の野地板がはずされたときに、一本一本の柱が画一的ではなく、縦に横に斜めにとなり、お互い寄せ合い支え合いながら自分の役割を果たしているのが見えました。互いに資け合い縁起の姿をみせながら、何か生き生きと輝いているようにさえ感じられました。

 一人では立っていけない互いに支え合って立っている姿(蘆束、人)、互いに寄せ合い支え合いながら自分の役割を果たしている姿(山門)を見る時、有難い、お蔭さま、感謝、生かされて生きているということ等々を今さらながら思い知らされます。

 しかし、浄土真宗ではこのことを強調するあまり、有難い有難いだけに満足してしまったり、ここに埋没してしまう傾向があります。ここに留まっていてはいけません。もう一歩踏みこんで、お蔭さまで生かされているからこそ、この気持ちを励みとして“積極的に生き抜いていこう。お互いに手をとり合って生きがいをもって生きぬこう”という姿勢をもたなくてはいけないのではないでしょうか。

 このような生き方こそが、お釈迦さまが「伝道の宣言」の中で、お弟子さん達に「人々が生きがいをもって幸せと安らぎが得られるような教えを説いてきなさい」と仰ったことにお答えするものでありましょう。

(1997.4)