2000年に想う

中野真稔(広島市中区専勝寺住職)


 世紀末の今、私たちは、現代日本の飽満・沈滞・無気力の中で何年も過ごしてきた現実があります。ある意味で退屈な時代を過ごしているのかもしれません。国会での議論が白熱化しないから、外での騒ぎが起こる。老獪な人たちには、限界を感じます。今日の過多な情報がもたらした浅薄な観念の肥大。日本人の下意識に他力本願に対する間違った理解が培われています。

 私は昭和54年11月に住職補任式を受け、御門主より住職を拝命賜わりまして20年、法務の傍ら、門徒さんの状態を見てきました。その中で、浄土真宗の門徒であり、お仏壇も浄土真宗でありながら、中身が本当に浄土真宗なのかというような門徒さんが多いことには驚かされます。お仏壇の中に、お茶・お水・位牌・写真・破魔矢・交通安全のお守り・お札・受験合格証・卒業証書などが置かれ、一体何を拝んでいるのか。

 ある門徒さんと大喧嘩をして、1年半その家には行かなかったことがあります。そこには、いろいろな宗派の書物が置いてあって、結局、その人は心がいつも多転し、結果は何だか分からないという繰り返しをしている状態でした。

 迷信・俗信に振り回されている人たちの多いこと。しかし、なぜそれを信じてしまうのかを聞いてみると、まわりに人がそのことを言うからという答えが殆どであります。本当に大切なものをもたなければなりません。

 浄土真宗の生活は、念仏を中心とした生き方に「命のたいせつさ」を想い、お互いに生かされている命として、自分たちもまた平穏な日々を送ることができる、これが日々の糧であると確信いたします。お仏壇も、ご本尊を安置させていただき、毎朝・毎晩、お経のご縁をいただき、生かされる命を慶ぶ聴聞の場であります。御利益を祈るものではありません。

 さまざまな新興宗教が世に出現しているようですが、目前の短絡的な事柄に惑わされることなく、怜悧な状態で素直に教えに随うことです。浄土真宗の正意を失えば、邪路に迷い自力の計らいに走ります。お釈迦様・親鸞聖人・蓮如上人のお心を正しく聞かさせていただきましょう。

 今年、2000年はいろいろと不安なことがあるかもしれませんが、心一定にして「世の中安穏なれ 仏法弘まれかし」と、主体性を欠くことなく生かされていたい。

(2000.1)