雑行雑修のこころをふりすてよ

平 義晃(広島市中区西應寺住職)


 過日、五木寛之氏原作の『蓮如』の舞台を見ることができた。それを観劇しながら、勿論、脚色されたものであると知りながらも、今まで余り考えなかった、蓮如上人のご苦労の一端を偲ぶことができた。その中の一つに、上人が文書伝道として思い立たれた“御文章”の製作の折り、苦しみ抜かれたその結果の台詞に「自分が親鸞聖人に負けない文章を書こうと、今の今まで自力の底をどうどう巡りしていたのか。―中略―この蓮如という拙い筆をとおして、親鸞様が語らわれておるのか。―後略―」との文句に出会ったとき、ふと、原口針水和上の詠まれた「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの 親のよびごえ」の歌を思い出した。

 私は、ややもすると「私がお念仏を味わわなければ、私がお念仏を称えなければ」との思いが心に沸き上がる。しかし、よくよく味わうならば、上述の歌のように、称えさせて頂くのは決してわが計らいによる念仏ではなく、我々ごとき煩悩具足の凡夫だからこそ救わずにはおらないという、如来様のお誓いが円融至徳のお名号と成就し、その仏心を頂くことがご信心であり、その頂いたご信心が称名となって私の口を通して出て下さるのである。その中には、わが計らいの入る余地はないのである。

 そのことを明治時代の水原宏遠勧学の挿話で味わってみたい。

 和上がある時、親しい若者を連れて隣村の葬儀に行った帰り道のこと。道中の川岸まで着いた時、少し前に降った夕立のため川が増水していた。二人は相談の上、歩いて川を渡ることにしたが、流れは思ったより速く、川の中央まで来たとき和上は足をとられ、思わず若者の腰にしがみついた。その時若者は「和上さん、離してくれ。私の動きがとれない」と叫び、和上は「今、手を離すと私が流される」と応えた。二人は川の中で何度か問答を繰り返したが、仕方なしに和上がその手を離した。その瞬間、若者は和上の腕を取り、ひきずるように対岸まで連れていき、二人は川原に転がり込んだ。和上は起き上がって地面に座り込み、若者に次のように話されて喜ばれたという。

 「お前は私に大いなる味わいをくれた。『手を離せ』と言われた時、私はこの手を離せば流されると思い、一層強くお前にしがみついた。しかし、あきらめて手を離した時、お前は私の腕をつかんで岸に渡してくれた。私はそこに蓮如上人の『雑行雑修のこころをふりすてよ』のお心を頂くことができた。お名号をつかまえ、つかまえた名号で助かろうとする。そして、お名号の働きを妨げて流される。わが計らいを離れたとき、阿弥陀如来はしっかりと私をつかんで渡して下さるのだ。『雑行雑修のこころをふりすてよ』、これが如来様のお慈悲のありったけだ」

 和上は、お名号の中に如来様のすべてのお徳が込められている(全徳施名)と味わわれ、私のような凡夫の計らいの入る余地のないことを味わわれた。

 宗祖・親鸞聖人は、このことを『歎異抄』の「後序」に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはこと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(註釈版聖典・853頁)とお示し下さっている。我々も、如来様の無条件のお救いの中に生かされている喜びを味わわせて頂きたいものである。

(1997.1)