初参式を終えて

武田道哉(広島市西区誓立寺住職)

 昭和61年5月21日、親鸞聖人ご降誕をご縁として、御門主様は「初参式についての消息」を発布されました。私の寺でも去る5月23日(日)初参式の集いを催しました。可愛いおさな子が両親・祖父母に導かれて、ご本尊様と初めて対面し、小さな手に数珠をもって合掌し尊いご縁を頂きました。ご消息のはじめにも“人間としてこの世に生を受けることはきわめてえがたいことであります。今、はかり知れない縁あっていのちを受け、更に遇いがたい仏法に遇って、尊い人生を歩み始められましたこと、まことにおめでたいことであります。”と仰せられています。

 折角、人間に生まれながら、神も仏もあるものか、地獄、極楽と云っても見てきた人もないのに信じられるか等と云う人も沢山います。

 私達には五根(眼・耳・鼻・舌・身)があって、それぞれ五つの世界を我々に見せてくれます。「首楞厳経」に円通といふことが説いてありまして、例えば物を食べる時には、先ず器を見て眼で食べ、耳に食物の由来を聞いて耳で食べ、鼻に芳香を嗅いて鼻で食べ。勿論舌で味わって食べる、つまり身全体で食べると云うことでありましょう。そこが人間と犬、猫との違いで、仏法も身全体で遇うものだと思います。私の煩悩の眼だけで仏様の存在を計らうことは、まことに愚かな事だと思います。更に人間には意(こころ)があって、五根に加えて六根を教えてくれます。

 『大経』上巻に「仏道を成るに至って、耳根清徹にして苦患に遭はず。目に其の色を覩、耳に其の声を聞き、鼻に其の香を知り、舌に其の味を嘗め、身に其の光を觸れ、心(意)に法を以って縁ずる、乃至、六根清徹にして諸の悩患なけん」とあります。特に私の身は“今、現にましまして説法したもう”(阿弥陀経)お名号の光に觸れ意(心)に法を聞かせて頂くところに、如来様のお姿にふれお浄土を見奉ることが出来ると思います。子供は親の後姿を見て育つとよく云ひます。初参式の尊いご縁を頂いて、親が手に合掌の姿をとり、「仏心者大慈悲是」(観経)と仏の心で子供に接するならば、必ずや仏の子としてすくすくと育ってくれるものと確信します。

(1999.7)