悲しみの声が聞こえる

友国義信(広島市南区善徳寺住職)


 昨年は北朝鮮を二度訪問し、被災地の子どもたちに食糧や学用品を届けてきました。

 95年からの災害の前年に、訪朝者に託された手紙「私は子どものころおばあちゃんから、山の向こうに鬼の住む部落があるそうな、鬼たちは隙があったら食べてやろうと、お互いに眼をつり上げて睨みあっているそうなと、おとぎ話で聞きましたが、それは今の私たちのことなんですね」を、朝日新聞の読者欄で見て、訪朝の機会を伺っていました。

 二度目の訪朝で白奉圭・対文協日本局長は「朝鮮戦争が始まり村や町では、アメリカ人はキリスト教徒で文化人だから一般人を殺すはずがないとの噂を信じて家に留まっていました。アメリカ軍は町や村をことごとく爆撃し、陸上部隊は女・子どもやお年寄よりも容赦なく殺してゆきました。朝鮮の娘達は、傷痍軍人の家に自ら嫁いで、一生を看病に捧げるのです。私も含め朝鮮の多くの国民は、宗教への信頼を失ってしまった」と言われる。

 『観無量寿経』の舞台となったインドのマガダ国・王舎城の悲劇に登場する、父であるビンビサーラ王を殺し、その罪を悔いて心身を病むアジャセ王は、悩んだ末にお釈迦様に会いに行きます。この時の様子が親鸞聖人の『顕浄土真実教行証文類』「信巻」の『涅槃経』の引用部分に出てきます。

 アジャセ王は、お釈迦様が私が必ず来てくれると信じて、涅槃に入らず待ち続けて下さったことに心から懺悔し、「私を阿鼻叫喚地獄(生きたまま身を切り刻まれ、死して蘇り、終わりのない叫喚が続く)に落として下さい。罪を犯して誰からも見放されて落ちてくる人たちに、待っていてくれる仏がおられることを告げてやりたいのです」と言う。

 終戦後にアメリカ市民は、悪魔の子と嫌われた栄養失調の日本の子どもの為にと世論の反対を押し切ってララ財団を設立し、全国の小学校でのミルク給食を続けてくれました。

 独りで生まれ、独りで去って行く孤独な人生に、悲しみの声が満ちあふれています。阿弥陀如来のお浄土に帰らせていただく命を恵まれている事を知らされる故に、お念仏を通してすべての人が繋がっていることを慶びあえる、浄土真宗のボランティア活動が見えてくるのです。

(1999.4)