『お陰さま』

登世岡浩治(広島市東区安楽寺住職)

     
 「最近、『お陰さま』と言う言葉をあまり聞きませんね。」との声がよくあがります。私もそう思うのです。とても大切な言葉なのに、今、死語になりつつあることに懸念を感じている一人です。

『お陰さま』はかつてよく使われていた言葉でした。道で人に会えば、「お元気ですか」の問いに「お陰さまで、元気に暮らしております。」と答えたものですし、手紙にも、前文に続いて「お陰さまでつつがなく‥‥‥」と報告をします。お店の人も挨拶代わりに「お陰さまで、商売繁盛させてもらっています。」このように『お陰さま』は、あいさつ言葉の主役といってもいいほどの位置を占めていたのです。

 「陰」とは、辞書に「陽の当たらぬ場所」「光のささない所」「見えない部分」「表面に出ない部分」とあります。草葉の陰、日陰、木陰などの用語をよく耳にいたします。『お陰さま』はこの「陰」へ、頭に「お」、お尻に「さま」を付けた言葉ですが、上の「陰」の意から言うと、いささか奇異に感じられます。何も「陰」に、「お」だの「さま」だの尊敬の接頭接尾語をわざわざ使用する意味はないんじゃないか、感謝の気持ちなど持つこともなかろうと現代人は思うのでしょう。だからといって、「お」も「さま」もとって、『陰』だけでいいかというと、曲がりなりにも今も使われている日常会話は成立しなくなってしまいます。例えば、「陰で元気に暮らしております」と言われれば、人目を避けての生活かと思いますし、「陰で商売繁盛」と言われれば、闇取り引きで成功しているのか疑ってしまいます。
私の目に見えない、気が付かない、私の思いの及ばない『陰』があって、それが私を包み、支え、生かしておって下さる。そのことに目覚めた人が、その大いなる恵みに感謝と尊敬の意を込めて『お陰さま』と呼んだ。先人の作られたこの言葉に、単に辞書に載る意味を大きく超える尊さを今こそ、学ばせて頂きたいものです。

 最近は自己中心的発想が社会にはびこり、自分のことしか考えない、他の人はどうなってもいい、といった非常に冷たい考え方が流行っています。何か事が起こると、「ああ、それはあっちのことで、自分には関係ない。」「それは若い者のことで、自分には関係ない。」「これは年寄りのことで、自分には関係ない。」と、関係ない、関係ないで面倒な物事を、自分から遠ざけて処理しようといたします。こんな冷ややかな、思いやりのない世の中は嫌なものです。
しかしお釈迦様が、世の中の全ての出来事は、互いに関わり合って生まれるものだとおっしゃっているように、自分に関係のないものはこの世に存在しないのです。そのことに気づかせてもらうことによって、「もちつもたれつ」「相互扶助」「家庭団欒」といった言葉が生き返り、『お陰さま』の本当の意味が判る世の中になることでしょう。

 インドでは、道行く人たちが互いに合掌して、「ナマステー」と挨拶するそうです。その姿を見ていると、とても清清しい気持ちになるということです。「ナマス」とは「南無」、「テー」とは「あなた」。「ナマステー」は「あなたに南無する」という意味です。また「南無」とは梵語で「帰命」「帰依」ということですから、「あなたに南無する」とは「あなたが私のよりどころです」「あなたによって私は生かされています」「あなたの『お陰さま』です」という内容になります。

 私たちは、お念仏をとなえる時、「南無阿弥陀仏」と申しますが、これは「阿弥陀さまに帰依致します」「阿弥陀さまと共にあります」「阿弥陀さまの『お陰さま』です」と頂くと、よく理解できると思います。また、もっと深く、阿弥陀さまは「私がここにいるよ。例えどんなことがあっても、私が引き受けますよ」と一時も休むことなく、ひたすら私のことを案じて下さっていることに気づきましょう。阿弥陀さまの「真実心」、まことのお心を頂戴して、『お陰さま』と生き抜かせて頂きましょう。

(2000.7)