「 報 恩 講 」

上薗恵水(広陵東組組長・広島市中区浄円寺住職)

 最近、急に母の背中に侘びしさを感じるようになりました。七十年以上生きてきて、その後ろ姿に全てが納められてるような気がしました。「己の背中に自信を持て」と言われますが、それは若い時代であり、年令をとると、苦労だけが背中に染み付いてしまう気がします。

 親の苦労は子供には中々解りません。「子を持って、初めて知る親の恩」と言われまますが、まさにそのとおりです。子供である私を、厳しくも、又、暖かくも見守って来てくれた、その後ろ姿でありましょう。「報恩」とは、「恩に報いる」ことです。恩に報いようとする心には、「感動」、「歓び」があるはずです。「おかげさま」の心に「ありがたい」という歓びがあります。「感動」、「歓び」の己に、「はずかしい」という、謙った、正直な気持ちがあります。懺悔の心です。「すいません」、「ありがとう」、「ごめんなさい」と、中々正直に言えないと言います。

 浄土真宗の御法義は、「懺悔」と「歓喜」と「報恩」のサイクルだと言い切れると思います。「おはずかしい」私が、如来さまの本願の中に生かされていることを「ありがたい」と歓び、「おかげさま」と報恩の日暮しをさせていただく。その「おかげさま」の日暮しの中で、「おはずかしい」私があり、「ありがたい」如来さまのお慈悲をいただいている…、という三つのサイクルがあります。

 「報恩講」は親鸞聖人の御命日です。

 そして、親鸞聖人が、九十年の境涯かけて如来さまのお慈悲を後世に伝えようとなされた御苦労を偲ばせていただく日です。それと共に、親鸞聖人が、真の親様と仰いでいかれた阿弥陀如来のお名前を呼ばせていただきながら、御同朋・御同行と、確かな道を力強く歩ませていただいていることを、共々に歓ばせていただく日でもあります。

(1999.10)