仏さまが主役

上薗 恵水(広陵東組組長・広島市中区浄圓寺住職)

     
 先日ある葬儀場でご門徒さんのご法事がありました。ご門徒さんは控え室におられ、私が到着すると、式場(法事を勤められる場所)へ移動されました。衣体に着替え、わたしも式場に入り、仏さまの前に座りました。さて、合掌して絵像の阿弥陀様を見上げると、絵像が歪んでいました。そして、阿弥陀様のすぐ下のお仏飯は正面に置かずに、すこしずれた所に置いてありました。仏事(法事)を始めましたが、どうもすっきりせず、歪んだ絵像を仰ぎながら、私の首も歪んでいる気がしました。それだけならいいのですが、式場の外では、法事が終わってからの食事(法事ではない)の支度で忙しく、式場の中までその忙しい声や音がしてきました・・・・。

 主役は誰でしょう。親戚の方を招いた「施主」でしょうか。葬儀場でしょうか。お寺さんでしょうか。法事の後の御馳走でしょうか。「主役」は仏さま(阿弥陀様)です。

 月忌参りをしているとよくあります。ご門徒のお家に行き、奥さんがたまげたように出て来られ、「あっ。今日参っていただく日だったのをすっかり忘れておりました。すみません。お寺さん、何も用意してないんです。お花もそのままで枯れてしまって、お供えもしてなくて、お仏飯もこの前あげたままでカチカチになってそのまんまです。すみません。すみません・・・」とまあ、こういったことです。「すみません。すみません」と言われますが、誰に対してすまないのでしょうか。お寺さんでしょうか。そのお家のご主人でしょうか。やはりすまないのは、「仏さま」にたいしてでしょう。

 二つの平素の仏事を例に出しましたが、「仏事−法事」を営む際、主役が誰かはっきり心得ておかねば、おかしな仏事となってしまうでしょう。

(2000.4)