寺院空間発見!

碓井真行(広島市東区光明寺住職・画家)


 初めて訪問したニューヨークは街中モノがあふれ、若者のエネルギーがぶつかり合い、新しい車がそれこそドーと走っている。緑も程よく植えられ美観もグッドだ。天に突き出した自由の女神の手は、世界中の人々の自由と愛と欲望を象徴している。私はこの国に酔っていた。心地よい、さわやか、それでいて刺激もある。アメリカン・ドリームも決してウソではない。初めてきた私にも、そのチャンスがあるように思えてくるから不思議だ。私は短い滞在中、いつのまにか魑魅魍魎と化していた。

 個展も無事終わり、再び日本での寺院生活が始まった。もともと寺のもつ独特の空気はイヤではなかったが、「何コノシズケサハ?」ゆったりとした軽やかな気持ち。一体どこから湧いてくるのだろうか。改めて寺院の不思議な力に感動した。

 そしてあわただしかったニューヨーク生活に本質的に欠けているもの、あれ程エキサイトしていた自分が、今ここではどこへいってしまったのか・・・と思われる程、静寂の中におかれていた。

 「嗚呼、ソウダッタノカ!」日本寺院の美しさは、群集の数や経済効率などではなく、真ん中に阿弥陀如来がドーンとすわり、親鸞さま、七高僧を両脇に、ローソクの静かな炎、美しい花、清らかな線香のかおり、そして念仏の声・・・「コレデヨカッタノダ」と気づかされたのでした。

 現代人は、昔からずーっとあったお寺の、幸福な時間と豊かな空間の調べを、すっかり忘れてしまったのではありませんか。寺に住む人も、慣れ親しみすぎて当たり前になってはいませんか。もう一度、近所のお寺へ行ってみましょう。そこで「南無阿弥陀仏」のおいわれを聞かせてもらいましょう。(南無とは)安心してわれにまかせよ・(阿弥陀仏とは)必ず救う、という仏さまからの直々の呼び声です。

 私は寺院という空間がストリートにあるということだけで、十分世の役割を果たしていると思っています。寺院空間再発見です。「若者よ、世の人々よ、真実に目を向けよ!念仏は、あなたの頭上に、雨のように降っている」

(1999.10)