「ビンビサーラ王」

 マガダ国の首都・王舎城(ラージャガハ)は、当時のインド最大の都市でした。そのマガダ国の国王がビンビサーラ(頻婆娑羅)です。ある日、ビンビサーラ王は宮殿の高楼から王舎城の街を眺めていました。王の眼は道行く一人の沙門(出家修行者)を捉えました。ごく普通の沙門でしたが、王の視線はその沙門にくぎ付けになってしまいました。王は侍者に命じて、その沙門の止宿する場所を調べさせました。その沙門は王舎城郊外の山窟に、あたかも獅子が坐せるがごとくに安坐していました。沙門を訪ねていったビンビサーラ王は挨拶もそこそこに、沙門に問いかけます。

 「沙門よ、そなたはマガダ国に仕官する気はないか? いや、沙門よ、私はそなたにマガダ国の精鋭なる軍隊の指揮をゆだねたい。いや、もし望むなら、マガダ国の半分をそなたに譲ってもよい。還俗してわがマガダ国に仕官されよ」

 ビンビサーラ王の申し出は常軌を逸していました。名も知らぬ沙門に、彼は王国の半分を譲る気でいたのです。それほどまでに王はその沙門に傾倒したわけです。その沙門とは、さとりを開かれる前の釈尊です。釈尊は、自分の生い立ちを語り、自分が老・病・死の苦の解決をめざしていることを王に告げます。

 「よくわかった、沙門よ。では、道を得られたなら、まず最初に私のために教えを説いてほしい。お願いしましたぞ、沙門よ…」。王は再会を約して山を下りました。

 ビンビサーラ王が再び釈尊と出会ったときは、すでに釈尊は悟りを開かれ、マガダ国の人びとの尊敬を集めている宗教界の長老・カッサパ(迦葉)三兄弟を教化して、その弟子千人もお釈迦さまの弟子になっていました。ところが、市民たちはお釈迦さまと、カッサパ三兄弟のどちらが偉いのかわかりません。そんな人びとのとまどいを察知してカッサパ三兄弟は、わざわざ皆の前で釈尊に礼拝しました。これを契機に、お釈迦さまの名は王舎城に知れ渡ります。

 ビンビサーラ王は、釈尊の前にひざまづき、仏教に帰依することを誓います。王は釈尊とお弟子たちのために住居を提供したいと、王舎城郊外の竹林に精舎(しょうじゃ)を建てました。これが竹林精舎で、仏教最初の寺院です。精舎とは「寺」という意味ですが、後世の寺とは違って、たんに雨露をしのぐ程度の簡単な設備しかなかったと考えられています。ビンビサーラ王は、釈尊より五歳若かったそうです。「15歳で即位し、その後16年で釈尊の教化を受け、以来、37年間、釈尊とともにあった」と伝えられています。