霊鷲山(りょうじゅせん)

 『無量寿経』の説法地として名高い霊鷲山(同経では耆闍崛山・ぎしゃくっせん)は、釈尊の時代のマガダ国首都王舎城を囲む五山の一つとしてそびえる岩山です。古くから「鷲の山」と呼ばれていましたが、その名の由来は、鷲が多く住むからとも、山頂の岩が鷲の形をしているからともいわれます。釈尊はその晩年、多くの時間をここで過ごされ、『無量寿経』『観無量寿経』『法華経』『般若経』を初め、数々の経典を説かれました。

 当時のマガダ国王ビンビサーラ(頻婆娑羅王)は、深く釈尊に帰依し、釈尊の説法を聞くため、多数の人員を動員して、麓から山頂まで石畳を敷きつめ階段を作りました。王はその道を登って、足しげく聴聞に通ったということです。現在の登山道はコンクリート舗装されていますが、当時の石畳が露出し、ビンビサーラ・ロードと親しまれています。
 そんな霊鷲山も、仏教の衰亡以来ジャングルに埋もれ、長い間その所在が判らなくなっていました。それを発見したのが、わが本願寺第二十二世大谷光瑞門主の率いる大谷探検隊でした。彼らはジャングルの中に決死の天幕を張り、長い時間を費やして、遂に明治36年1月、旭日に照らされるこの山を見いだし、霊鷲山と断定したのでした。大谷探検隊が国際的に認められた一番の功績です。