龍樹菩薩

七高僧初祖
AD150〜250年頃(日本は弥生文化、卑弥呼の時代)

●著作 『十住毘婆沙論』の「易行品」
●特色 仏道を難行道と易行道に分け、易行である阿弥陀如来のみ名をとなえる道をすすめた。(難易二道)

●略伝

 七高僧の初祖龍樹は、インド名をナーガルジュナといいます。第二の釈尊ともいわれる、大乗仏教の大成者で、昔から「八宗の祖師」とたたえられ、大乗の各宗からうやまわれています。龍樹は南インドに生まれ、若くして哲学・天文・地理・医学などのあらゆる学芸を身につけたと伝えられています。彼の出家について、次のような話しが伝わっています。
若い龍樹はあるとき親友三人と語り合った末、「お互い学問は学び尽くしたし、諸芸にも達した。これからは人間の歓楽の頂上をきわめ、楽しもうではないか」と決めました。 

四人は仙人について隠身の術を学び、夜ごとに王宮に忍び込んでは後宮の美女を心のままに情欲の犠牲としたのです。当然、城中は大騒ぎとなりました。

 「隠身術者の仕業に違いない。すぐに城門を閉めよ」

 兵士たちは刀剣を振るって縦横にあたりかまわず切り払いました。これでは隠身の術も効き目がありません。たちまち三人の友は切り殺されてしまいました。龍樹はすばやく王の脇に身をひそめたので、危うく剣難を免れます。友の惨死を目のあたりにした龍樹は、情欲こそ堕落の道、災いの根源であることを痛切に感じ、ついに出家を志す身となったといいます。龍樹は当時インドで広く行われていた小乗仏教を学び、わずか90日ですべてを習得したと伝えられています。その後、雪山(ヒマラヤ)に入って大乗の法を研修し、すべてのとらわれを超えた「空」の真理を体得したのです。龍樹は、仏法の中に大乗無上の法を見いだし、これを弘めることに心を尽くし、人々から菩薩とうやまわれました。

 伝記によると龍樹は大乗仏教をひろめようとするあまり、異教徒の迫害にあって殉教したともいわれ、また一説には、命終を知って一室にこもり、後日、弟子が部屋の扉を開けて中をうかがったとき、龍樹はすでに示寂していたともいわれています。あるいは600年もの間、生き続けて大乗仏教を宣揚したとも伝えられます。

 その偉大な大乗仏教の功労者であった龍樹の心には、常に浄土があったといわれます。阿弥陀如来を師と仰ぎ、いつも往生極楽を願っていました。親鸞聖人が七高僧の初祖と崇められたゆえんです。