善導大師

七高僧第5祖
613年〜681年(日本は飛鳥時代、大化改新があった頃)

● 著作 五部九巻(特に『観経疏(かんぎょうしょ)』)

● 特色  南無阿弥陀仏の一つで往生することをあきらかにし、南無阿弥陀仏を深く信じる信心の道をすすめた。(古今楷定)

●略伝

 善導は、混乱を極めた隋の時代の末期、現在の山東省にあたる地で生まれ、幼くして出家します。末法の世に生まれ、修行の及ばぬ身であることを思い、末法にかなった道を求めて数々の経論をひもといていった善導は、『観無量寿経』に心をひかれ、一心不乱の修法を重ねましたが根本の信念が得られません。善導は、各地に名僧をたずね、道を求めることになりました。29才の時、善導は玄忠寺の道綽に会うことができました。そのとき道綽は80才。道綽の念仏の声は朗々として善導の心を打ちました。5年の師弟生活のうちに、善導の念仏往生の信念は確固たるものとなりました。当時は、唐代初期の中国仏教の一大盛期であり、各地に有名な高僧を輩出した時代でした。善導は唐の都、長安に入り、光明寺に住んで広く大衆に門戸を開き、念仏をもっぱらに勧めます。その結果、「長安の城中、念仏に満つ」といわれるほど念仏が盛んになりました。

 善導は『観経疏』を著すことによって、これまでの『観無量寿経』についての解釈を改め、念仏往生こそ末法悪世の人々のための仏の本意であることを明らかにしました。これを善導流の念仏といいます。善導は持戒が非常に厳格で、三十余年のあいだ自分の寝所を定めず、しかも念仏の声は口を絶えず、眼をあげて女人を見ないというほどであったと伝えられています。法然上人はことのほか善導を敬慕され、阿弥陀仏の化身とまであおがれています。