光り輝く荘厳


 『無量寿経』の終わりに近い部分に、次のような場面があります。阿弥陀仏の浄土の教えを聞いた仏弟子の阿難尊者が、釈尊の言われるままに阿弥陀仏のおられる西方に向かって礼拝されます。その瞬間、あたり一面が金色に光輝き、そこに浄土のありさまが現れて世界を包み込んでいきました。それまで説かれてきた、遠い昔の法蔵菩薩の物語と、遠い彼方の西方浄土の話が、時空を超えていま現在この場所の一点で結びつくという、経のクライマックスともいうべき場面です。浄土とは遠い彼方の話ではなく、いまここにいる私たちに切り開かれているということを教えてくださっています。
 浄土は金色に燦然と光輝く世界です。「金」は、赤や青のようないろんな色のうちの1つなのではなく、あらゆる色を超越し、すべての色を包み込んだ平等な色ということができます。浄土の色について、お経の別の箇所では「青色青光、白色白光」と言われています。青い色のものは青い光を放ち、白い色のものは白い光を放つ。つまり、青は青なりに十分その色を発揮して光輝き、白は白なりに光輝いている。言い換えれば、青は青として金色に光輝き、白は白として金色に光輝いているのです。生きとし生けるものがすべてその個性を発揮して光輝いている世界、それが金色に光輝く浄土という世界です。
 浄土真宗で用いられる金仏壇のきらびやかな金色は、その平等に光輝く浄土のありさまを表現したものなのです。お仏壇に手を合わせるとき、私たちは平等な光に満ちあふれた浄土に想いをよせ、さらには、平等の世界を平等と見ることのできない煩悩にまみれたわが身の姿に、あらためて気づかされます。

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